ゲーム雑記20111023 katan レビュー

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ゲーム雑記20111023

久しぶりの雑記ということで、
あまり楽しくない読まないこと推奨のゲームの戯言を幾つか。

でもその前に、まずは挨拶と感謝から。

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そういうわけで2種置いているのですが、
もう既に押してくれたことのある人も多数いますので、
この場を借りてお礼を申し上げます。

さて、そういうわけで戯言その1。
アダルトゲームの世界でも、
最近は演出面に力を入れてくれるブランドさんが増えています。
アニメーションを扱うところはもちろんのこと、
立ち絵の変化とか動きでも見せ方はいろいろありますからね。
数年前までの動かない立ち絵時代に比べれば、
これは嬉しいしその努力は応援したいところでもあります。
まぁ、苦労している話も見かけますけどね。
そりゃそういうのがやりたくて業界に入った人ばかりでないでしょから、
分かる気もします。
でも、頑張ってくれる姿勢は嬉しいものの、
現状では素人が見よう見まねで動かしたものとか、
素人に毛が生えた程度のものがパタパタ跳ねているだけのも多いです。
そもそも絵コンテを切ったり演出考えたりなんてのは、
映画やアニメのプロの方が優れているに決まっているんです。
キャリアが全然違いますからね。
こういう方面で勝負をしかけても、その内アニメに食われてしまいます。
ゲームにはゲームの良いところがあるわけで、
アニメの後追いが目指すべき方向性ではないと思うのですよ。
例えば戦闘シーンでも、ACT風・RPG風・SLG風と何でも良いですが、
実際に戦闘をさせるなどの方法があるはずです。
それがゲームなんですからね。
ADVであっても、ノベル形式による選択肢式・移動式・画面クリック式・
他にもアイテムを収拾したり使用したり組み合わせたり、
MYST風にその場でいろいろいじらせてみたり、いろいろあるはずです。
必ずしも新しいものを作り上げる必要はなく、
既存のシステムであってもそれを上手く組み合わせるだけで良いのです。
物語のその場面に適したシステムというのがあるはずで、
その場面に合わせたシステムに切り替えるだけでも、
同じストーリーが全然違ったものに感じられるはずですから。
海外のADVの紹介ではP&C式と書くことがほとんどですが、
それは基本システムがそうだということであって、
面白いゲームは細かく見るとやっぱりいろいろ使い分けているのです。
基本がノベルならノベルでも良いのだけれど、
最初から最後まで全部ノベルに終始する必要もないわけで、
場面ごとに違うシステムに切り替える必要もあると思うし、
その辺がむしろ98時代のADVより劣っているところなんですよね。
発想がノベル的手法しか浮かばないのであれば、
ここ10年のADVなんていくら分析しても時間の無駄でしかないので、
作り手には98時代のマイナー系ADVを研究してもらいたいなと思いますね。

ゲームに関する戯言その2。
学校の世界では何かと問題になっている絶対評価と相対評価。
絶対評価ってのは、ぶれていない良さそうなイメージがありそうですが、
やっぱり理想論でしかないと思います。
レビューとかでも絶対評価と言い切ったところで、
良かったなと思うものは1つもありませんでしたから。
意味なく他のものと比べるのは論外ですが、
かと言って全く出さないとするのも、
大抵は他のものを知らない場合の逃げ道にしかなってないんですよね。
典型例がパクリ系とか2番煎じの作品ですね。
元のを知らずにコピー作だけやって、
それで斬新だこんなのなかったとか言われても、
何だかなって思ってしまいますから。
対象作品の本当の価値は、
歴史的意義や周りとの位置付けを把握しないことには分からないと思います。

その意味では、相対評価の方が正しいと私は思います。
ただ、相対評価の場合は比較対象を誤ってはいけないのでしょう。
例えばFateは良く動く画面と演出が評価された作品ですが、
それは同時期のゲームよりはるかに優れていたから評価されたわけです。
でも、今の最新ゲームには劣りますよね。
それで今のゲームより動かないからクソだの過大評価だの言うのは、
ちょっとおかしいですよね。
他にも声がないのが当然の頃の作品をやって、
それで声がないから価値なしというのも論外なのでしょう。
また先ほどの2番煎じ作品でも、後発のを先にやって、
それでオリジナルは2番煎じ作に似ているから駄目というのも論外でしょう。
つまり時間を遡って新しい物差で古い物を計るなよってことで、
これは個人の好み以前の問題です。

そういや以前にmixiをやっていて、
鬱陶しい人にかかわったのでやめたことがありました。
その人はやたら持論を押し付けてきて、
まだそれがマイミクだった私にだけ向いていれば構わなかったのですが、
私以外にも向かい出したのでこれは問題だと思い、切ったんですよね。
その人の考え方が、リメイクの音声付をやるべし、
オリジナルは声がないから価値なしみたいな感じでした。
また2001年の成長を題材にした某作品を絶賛していましたが、
好きだというなら好きで構わないんです。
でもエロゲーは主人公がヒロインの悩みを解消するもので、
主人公の成長物語はそれまでになかったとか言い張るから問題なのです。
まず主人公がヒロインの悩みを解消するという構造は、
ゼロ年代以降のテンプレ系作品に多いものであり、
それが全てないのはもちろんのこと、
90年代では典型的なパターンとすら言えないでしょう。
また01年以前にも主人公の成長物語なんていくらでもあります。
過去のことを知らない上に時間を遡って考えるから、
そんな意味不明なことになるのです。
どれだけその作品を分析しようとも、
どれだけ上手い文章で表現しようとも、
周りの時系列に沿って考えられない時点で私には無価値に見えるわけで、
好み以前の問題だよなと思うのです。
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